​しじみ 現場レポート

『シネまみれ 創刊号』より

 先日撮影してきた『横須賀綺譚』という自主映画についてお話したいと思います。

 脚本・監督は、大塚信一。キャストは、小林竜樹、しじみ、川瀬陽太、湯舟すぴか、長内美那子。

 いきなりですがこの現場、過去に経験した事ない位バチバチな現場だったんです。

 バチバチと言われてもちょっと伝わらないかもしれませんが、まるで喧嘩のような真剣勝負と言いますか、監督・役者・カメラマン、それぞれが最良の案を模索して現場で容赦なくぶつける。全員が監督のような現場でした。

 これは、大塚監督が監督をやるのが実質2回目という事もあるのかもしれませんが、経験豊富なカメラマンや役者陣からバンバン意見や、時にダメ出しが飛び交っていたのです。

 監督って、常に全方向からのツッコミに全て答えられないといけない恐ろしい役回りなんだなと改めて思い知り、もし私が監督だったら完全に心折れてるだろうなと思いました。

 

 そして肝心の私はと言うと、そんな皆さんの魂のぶつかり合いをただ黙って見ているという状態でした。

 “映画は監督のもの 舞台は役者のもの”

という言葉がありますが、私はこの言葉が好きで、監督の言われた事なら何でもやる。こだわりゼロ。監督の駒になりたいと常々思っているような役者だったので、自分の意見というものがなく、その場で何も言う事がなかったからです。

 現場でも監督とは指示をされない限りは喋らないし、「監督、ここはどうなんですかね?このセリフはこの言い方でいいんですか?」などと細かく聞く役者も嫌いでした。何も言われないって事はそれで問題ないって事だから、いちいち質問するのは野暮だといつも思っていました。

 「今のシーン、撮り直したい」役者なら必ず一度は思った事あるかと思いますが、それも監督がOKを出したらそれでOK。たとえ台詞を噛んでも、自分のセリフを食われても、本番中に居眠りしてしまい途中でハッと目が覚めてついカメラ目線になってしまった時でさえ(!)、監督がOKと言うので何も言いませんでした。

 これは、「面倒臭い役者だと思われたくない。自分はまだ意見を言える程偉くない。時間のない現場で主役でもない自分の演技に割く時間はない」と自覚している等というのも勿論あるのですが、それよりM寄りの性分というか、人の言いなりになる事が単純に好きというのがあると思います。

私は、出来る事なら自分では何も考えずに、言われた事だけをやって生きていきたいと心から思っている人間なのです。役者はMだとも言いますしね。なのでそこが使い易いと褒められる時もありますし、そのせいなのかアドリブが下手ともよく言われます。台本に書いてない事を言えないんです。

 

 そこで今回の現場です。演出なしでとりあえずテストをやってみるという場面が多々あり、どこに立って何をしているのか? 皿洗いをしてるのか? 掃除をしてるのか?……という事を自分で考えなければならず、言われた事をやるだけの私は戸惑いました。

 実は最近舞台の仕事もするようになってきて、「自分で考えられるようになったら演技がもっと楽しくなるよ」と、ある演出家に言われた所だったので、そろそろ自立した役者に成長しなければいけないタイミングなのかなと思い始めました。

 確かに良い作品作りを全員が突き詰めて考えたら衝突なんて当然だし、意見がないなんてのはただ楽をしているだけだし、もし自分の意見が尊重され、それに寄って映画がより良いものになったら、その達成感は計り知れないと思います。ただ拘りが強過ぎる役者は使い辛いと思うので、その辺のさじ加減を臨機応変に対応できる役者に是非なりたいです。

 

さて、そんなヒリヒリした鎌倉一週間お泊まりロケの最終日。リビングから撮影を終えた監督や役者、スタッフ一同の楽しそうな笑い声が夜遅くまで聞こえてきたので、

「なんだ、仲良いんかい」

と拍子抜けしました。きっとこの人たちは、現場で衝突しようが何しようが、結果良いものが撮れればそんな事はどうでもいいと思っている、とてもカラッとした人たちなんだなと思いました。

どうでもいい人に対しては何でも言えるけど、嫌われたくない人や、ましてや仕事相手には思ってる事を何も言えないタチの私には、何だかとても羨ましい関係に見えました。

 現場で意見する事って、とても心を擦り減らす事だと思います。そのリスクを冒した者だけがその宴に参加できるような気がして、私はひとり先に眠りました。